祖父が大工で、小・中学生のころは夏休みなどに遊び半分で手伝いをしていました。見よう見まねで大工道具を使ったりして、ものづくりの楽しさを肌で感じたのが、現在の仕事につながったと思います。両親とも教師でしたが、激務を見て育ち、自分には無理と感じていたので、教員になることは考えなかったですね。
中学まではちゃらんぽらん。授業中も居眠りばかりでしたが、「高校ではまじめにやろう」と一念発起して高松中央の門をくぐりました。もともと数学が得意で、3年間担任の飯野先生が数学担当だったので、先生に認めてもらおうと頑張れたところもあったかな。でも、数学の試験ではいつもケアレスミスで1問間違える。「満点取れんなあ」って、先生やクラスメートから突っ込まれてました(笑)。
教科によってデコボコはありましたが、卒業時の評定は4・8。卒業生総代に選ばれ、皆勤賞もいただきました。高校時代は本当にまじめに頑張ったなと、自分でも思います。ものづくりの道に進むべく、指定校推薦で近畿大学工学部建築学科に進学しました。
大学卒業後は地元で仕事をしたくて、小竹組に入社。もうじき満2年になります。いろんな現場を経験してきましたが、現在は高知空港事務所の建設に携わっています。まだ、新米なので、工事写真を工程ごとに撮影して記録、整理していくことや、仮設の段取りと手配、資材の数量計算と発注などが主な仕事です。
工事写真は1か月でざっと2,000枚、完工までには1万枚は撮ることになると思います。撮り忘れがあると後々大変だし、資材の発注は数量を間違えると現場にも会社にも迷惑をかけることになるので、神経を使います。その分、たとえばコンクリートの発注量が実際の使用量とピッタリ合うと、達成感というか、「やったー」ですね。
入社1年目は、現場で飛び交う業界用語がちんぷんかん。自分が思っていることを上司にうまく伝えられないし、厳しい職人さんもいて、しんどかったです。でも、徐々にコミュニケーションがうまく取れるようになり、職人さんも事故やけがを心配して厳しく接してくれているんだと分かるようになりました。
いい意味で仕事のオンオフの切り替えが上手な人が多くて、フレンドリーな会社です。オフの付き合いが盛んで、そこでなじみができて、現場でも仕事がスムーズに運びますし、人と人の距離感が近いですね。風通しの良い職場づくりに会社も力を入れていて、現場の上司に話しづらいことも、他の部署の上司に気軽に相談できる場所を作ってくれています。恵まれた環境の中で、今後しっかりと仕事に取り組みながら勉強の時間も確保し、まず二級建築士の資格を取り、さらに一級建築士も目指したいと思っています。
大学時代にゴルフ場でアルバイトをしたのがきっかけでゴルフが好きになり、休日は打ちっぱなしかコースに出ることが多いです。ハンディは90前後。最近は足が遠のきがちなので、100を切れるかどうかですが。あとは、車が好きでドライブに出かけます。県外の現場に長期で滞在する時は、道を覚えるのも兼ねて最初の1か月ぐらいは車でウロウロしています。
高校時代で思い出深いのは、ハンドボール部。2年生の時に「大会に出るのにメンバーが足りない」とクラスメートから誘われて入部しました。全くの初心者で、ルールも分からないので、とりあえずゴールキーパーで出場。その後、何度か大会に出場しました。学習塾に通っていたんですが、そのスケジュールに合わせた練習を認めてくれたし、ど素人を仲間として受け入れてくれて、うれしかった。その楽しさが忘れられず、大学でもハンドボール部で活動しました。
高松中央の後輩に伝えたいのは、目標ややりたいことを早くから見つけておいた方が、先の選択肢が広がるということ。やりたいことがなかなか見つからないという人は、自分の好きなこと、自信があることから出発すればいいと思う。
10代半ばの自意識が強いころは他人と自分を比べて一喜一憂しがちですが、そうではなくて、自分に何があるのかを見つめることが大切だと、社会人になった今、学生時代を振り返ってそう感じます。自分を理解する時間をつくることは、きっと近い将来、採用面接などでも役立つはずです。
高松中央高校は、生徒と距離の近い先生が多いので、困った時はどんどん相談を持ち掛けたらいいと思います。
〈令和7年2月取材〉